• 2024/03/26
  • 院長のひとり言
賢いことと偏差値は別物


私は以前から人としての賢さや
人格と偏差値は別物だと思っている

この度の神戸大学バトミントン同好会が
合宿先でおこした不祥事を見ていると
小学生でもやらないような
愚かな行為を国立大学の大学院の
学生まで一緒になってやっている

神戸大学といえば高偏差値の
学生であることは間違いない

偏差値が高いからと言って
人間として賢いとは限らないことを
彼らが証明してくれた

テレビをつけると政治家の人たちが
裏金だの横領だ脱税だのと
賢いはずの人たちが右往左往している
姿を見てもやはり人の賢さや人格に
偏差値は関係しない事を実証している

世の中は割合で決まってくると
言う学者さんもいるが

私もそう思う

例えば女性が一人もいない集団では
一定数の男性が女性の役割をはたすように
なるそうだ

クラスのリーダー的な人が転校すると
誰かがその役割を担うようになる

要するに偏差値が高くても低くても
その集団の中でそれぞれ役割を受け持ち
人格者もいればいい加減な人も必ず
一定数いることになるのである

そう考えると医者も弁護士も裁判官も
偏差値が高いからと言って
真面目で人格的にも信用できるとは
限らないことが理解できる

日本人は肩書に弱く
社会的に地位の高い人だから
あの人は信用できる
あの人が言うことは確かだ
と考える人が多いが
実際の世の中はそうではない

そのことを神戸大学の学生たちが
改めて思いださせてくれたような
気がしたのである。


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